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zoom RSS 今週の一言 No3 当たり前を取り戻せ

<<   作成日時 : 2013/11/03 06:17   >>

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東京オリンピック招致で有名になった「おもてなし」という言葉、
確かに日本の良さを表した素晴らしい言葉だと思います。

特に、人と接する職業、スーパーやホテルなどの小売・飲食・サービス業で働く人々や営業職の皆さんには、とても大切な言葉だと思います。

しかし、工場や建築の現場で働く皆さんや、社外の人とほとんど話す機会がない事務職の皆さん、さらには毎日図面に向き合っている設計技術職の皆さんには、
すこし当て嵌まり難い言葉なんだと思います。

では、そんな皆さんの素晴らしさ、ひいては日本のモノづくりの素晴らしさを表す
言葉は何か

それが、『 当たり前 』 という言葉だと私は思っています。

日本の現場の凄さは、誰に言われなくても、誰も見ていなくても

『 当たり前のことを当たり前に行う 』

という所にあると思っています。

問題意識を持てという意味で『 当たり前を当たり前と思うな 』と言われますが、

それは当たり前を否定しているのではなく、さらに高いレベルの当たり前を目指せ
と言っているのだと私は思っています。

今回のブログでは、なぜ私はそう思うのか、そして現代を生きる我々は何をすべきなのかについてお話しをしたいと思います。


■ 日本と欧米の違いから日本の良さを紐解く

ちなみに、この『当たり前・・・』という文言を英語にすると

『 Do the Right Thing Right 』

となるようです。

非常に似ているようですが、私は2つの点で異なっていると思います。

※ このフレーズはアメリカ人は好んで使うようで、私が以前に在籍していたHP社でも「Doing Thing right , Doing the Right Things」正しく行え、正しいことを行えと何度も言われました。

つまり、『当たり前』と『Right』の違いに、日本の良さや特徴が隠されているように思います。


< 当たり前は決して難しいことを指していない >

当たり前には、確かにRightつまり「正しい」という意味も含まれていると思いますが、それだけでなく、

『 誰でもが努力すれば出来る 』

という意味が入っているように思います。

・始業より30分は早く来て、その日の準備をする。
・落ちているゴミは拾う、汚れていたら掃除をする。

などは、誰でもが面倒くさいですが出来ます。

逆に、いくら正しくても多くの人が出来ないようなことは、当たり前とは言わないように思います。

例えば、「改善提案を毎月1件出す」は誰でもが出来ますが、「不良、不具合、クレームを0%にする」は正しいことですが、誰もがいつも出来るものではありません。

当たり前は、結果ではなくその過程(プロセス)のことを指しているように思います。

また、正しいことは出来たら褒めてくれますが、当たり前のことを当たり前にしても、誰も褒めてくれません。(出来て当たり前ですから)

だから逆に、誰にも言われなくても、誰も見てなくても、当たり前にすることの凄さと難しさがあります。

「小事が大事を生む」という格言の小事とは、当たり前のことなんだと思います。


< 当たり前は村社会の暗黙のルールである >

さらに、正しいという基準が欧米と日本では異なっているように思います。

アメリカなど欧米社会はキリスト教の一神教で階級社会です。
何が正しいかは神が決めるという価値基準なのですが、

※ 裁判所で証言者は、まず聖書に手を置いて宣誓する国です
※ 欧米では正しいとは、人(キリスト教徒として)として正しい、
  正しいことは世界で一つ、つまり『正義』という意味なんだと思います。

実際は、支配者(政治家や経営者)が決めて非支配者(国民や従業員)に守らせるというやり方となります。

それに対して日本は、多神教で村社会です。

お天道様が見ているという価値基準は似ているのですが、当たり前の具体的な内容、つまり何が正しいのかは、村や社会全体の話し合いでで決めて、皆で守っていくというやり方です。

郷に入れば郷に従えという言葉通り、村ごと、藩ごとに当たり前は異なるもので、それまでの災害などの経験や地域の特性を強く反映した内容となっています。

近江商人の当たり前と、名君上杉鷹山が治めた米沢の人々の当たり前は違うものです。そして、当たり前のレベルが高い村や藩が栄えてきたと思います。

また、当たり前は親が子や孫に伝えるだけでなく、村のしきたり、ルールとして
年長者が若者や童に伝えていくものでした。

これが、村や藩から、現代の会社という器に変わっても、続いてきた
日本の伝統なのだと私は思っています。

以前の日本企業には、鬼より恐い名物班長、部長より偉いお局様が職場におられました。

私も新社会人として松下という会社に入った時、松下の当たり前とは何か、
社会の当たり前とは何かを、鬼班長とお局様から徹底的に教育されました。

教育というより躾されたというのが正しいかも知れません。

非常にしんどかったですが、だから今の私があるように思います。

仕事に対する心構え、物事や真理への真摯な姿勢、人に対する態度など
ビジネスマンとしての一番基本的な部分は、その頃に叩き込まれたと思います。

研修などで日本型PDCAの凄さのお話しをするのですが、
その中で、日本製品のレベルの高さを生み出してきたのは、

・「根回し」「目配り」「気配り」「摺合せ」という基本行動にある

と私は申し上げています。ちゃんと社会人躾を受けた社員が取る

・仕事を始める前に、宜しくお願いしますと関係者に一声をかけておく
・何かおかしいところはないかと、問題はないかと常に隅々まで目を配る
・仲間のやる気が落ちていないか、体に変調はないかと気を配る
・問題があればその場で徹底的に話し合う、結論には協力をする

といった行動は、別に正しいからやっている訳ではありません。

若い時代に、それが当たり前として仕込まれたから、やって当たり前としてやっているのです。ご飯の前に頂きますを言う、靴を脱いだらきちんと揃えるのと同じです。

日本製品の製品品質の高さ、お客様満足の高さは、新人から社長に
至るまで、社員全員の当たり前のレベルの高さの上に成り立っている

そのように思います。

■ 当たり前が無くなりつつある

しかし、今の日本企業には、鬼班長もお局様もほとんど居ません。

効率化のもとに、そのような人々は用済みとされてきたように思います。

誰にも躾けられず(当たり前が何かを教えてもらえず)、ただ結果だけを
求められてきた若手が、今や中堅になってきています。

企業や社会が結果だけを求めて、足元を疎かにしてきたのがこの20年のように思います。

食品の偽装問題、重大な不具合、減らない不良など

いくら管理を強めても、当たり前のレベルが下がってしまっている企業では
無くならない、減らないように思います。

ましてや、コンプライアンスという何か訳のわからない、当たり前のことを
あたかもルールにして、公布しているだけでは、情報流出や虚偽報告は
無くならないと思います。

天皇陛下に手紙を直接渡して、ルールが無かったからとのたまう輩が
出てくる社会になってしまっています。

■ チームリーダーへのお願い

では、職場の当たり前レベルを上げるのは誰の仕事なのでしょうか

鬼班長もお局様もいません。ハッキリ言って人事は頼りになりません。

私は、係長、課長といった

現場のチームリーダーが若手や中堅に当たり前を仕込んでいくべき

だと思っています。

結果を出すのは重要です。チームリーダーにはその責任があります。

しかし、3年先、5年先を考えた時、当たり前レベルが低いメンバー
ばかりになってしまっては、結果など出るはずがありません。

結果が出ないのは、良いメンバーが居ないからと嘆いても
誰も助けてはくれません。逆にそれはあなたの責任だと、上司から
叱咤されるだけではないでしょうか

確かに、当たり前を仕込むことは、嫌われる、煙たがられる役割です。
時に厳しく、徹底的に教えて行かなければ、当たり前は伝わりません。

ただ昔と違い、出来て当たり前出来ても誰も褒めてくれないでは、
今の若手や中堅の皆さんはついてこれないのも事実です。

当たり前が出来たら認めてあげる、一つ上のレベルの当たり前に
取り組み始めたら応援してあげる、そんなことも大事だと思います。

現場チームリーダーさんの皆さん、頑張ってください。

日本企業の競争力の根幹を取り戻すのは、皆さんの役割なのです。

以上

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